大工・職人に対する憧れ

私は、家業が工務店だったこともあり、幼い頃から父に連れられて建築現場に出て、大工さんや職人さんが働く背中を見て育ちました。玄能(金槌)、ノコギリ、カンナやノミで木を刻み、切り、組み立ててものをつくっていく大工さんの姿に憧れを抱き、いつか自分もこのようになりたい、と思っていました。

その気持ちは大人になっても変わらず、建築の道に進むのは当たり前のことのように、大学時代は土木を専攻し、さらにその先、木造建築を習得するために、2年間建築の専門学校に通い、一級建築士の資格を取りました。大丸建設に入社して、現場監督として経験を積みながら、専門学校では講師も務めました。私が今でも、理論と実践の両立を目指すのは、この頃の経験が大きいかもしれません。今では、省エネ、耐震など、建築に関するさまざまな資格を取得しましたが、現場で生かせてこその知識だと思っています。

不易と流行

大丸建設の建てる住まいは、決して派手ではなく、素朴で、温かみのある、等身大の家だと思います。これまで自社設計で、耐震性や素材の安全性を担保しながら、お客様の夢や希望を図面におこして、安心・安全な家づくりを進めてきました。

ここ数年は、積極的に建築家とご一緒し、デザイン性の高い住まいの施工を手がけることが増えています。建築雑誌『チルチンびと』などのネットワークを通じ、自然素材を使うこと、家づくりへの理念に共感し、信頼できる建築家との仕事は、私たちにとっても大きな学びになっています。

150年にわたる家業の歴史のなかで、宮大工として匠の技を競い名を馳せていた時期、戦後に建築業として規模を拡大した時期、新建材を使った時期、そして自然素材に原点回帰した時期……さまざまなことがありました。それでも変わらない、私たちの中心は「木を使うこと、匠の技を受け継ぐこと、地域に根差すこと、お客様と長くお付き合いしていくこと」です。会社としての軸をしっかりと持ち、これからも長くお客さまに信頼される工務店でありたいと願っています。

[写真=2020年完成 / 設計:ことこと設計室]

お客様の家を長く支えるために

大丸建設では、「家は、お引き渡しからが本当のお付き合いの始まり」という社是が長く伝わっています。家づくりはどうしても「つくる」ことに重きがおかれがちですが、実は竣工してからこそが工務店の存在意義とも言えます。その家のことを最もよく知るのは、私たち工務店です。構造や内装、床下、天井裏に至るまで、設計図や素材の一覧を持ち、住んでから時間が経っても、プロとしてその住まいの状態を的確に把握することができます。

そもそも、私たちは、家を建てる時点で、「3世代、100年以上住める家」を設計しています。良質な材料を使い、地震や風雨に耐え、長く住んでも飽きない、美化する家をつくっています。そして、長きにわたり、メンテナンスができるよう、設計図書を社内で受け継ぎ、お電話一本で修理、営繕に対応します。

良質な材料を使い、長く住める家づくりをしてきた大丸建設だからこそ、お客様の住まいを何十年にもわたりお支えする。そのため、会社を長く存続させていかなければなりません。

 

匠の技を受け継ぐ工務店として

株式会社大丸建設の創業は昭和36年です。明治初期に天才宮大工を初代として創業し、家業として代々受け継ぎ、3代目の石黒善次郎が木造注文住宅、店舗、アパート、鉄骨・鉄筋建築を生業とする地域工務店として会社化しました。3代目は大丸建設の中興の祖として、今につながる礎を築きました。地域に根ざした工務店として、4代目の石黒善弥、そして母方を石黒家に持つ5代目・安田昭が会社を受け継ぎ、今に至ります。

5代目の安田昭は、昭和18年生まれ。戦後の高度経済成長を肌身に感じ、家づくりの効率化や大量生産の様子を目の当たりにしてきました。家を合理的に建てることのできる新建材を扱ったこともありますが、「本当の家づくりとは何か」に真剣に向き合ってきた結果、先祖代々受け継いできた「匠の技」「木と自然素材の家」に原点回帰しました。

大丸建設は1980年に「協同組合匠の会」に入会、2003年に「チルチンびと『地域主義工務店』の会」に入会し、志を同じくする全国の工務店と、本物の木の家づくりに邁進しています。

[五代目:安田 昭]

大丸建設の歴史

大丸建設は「多摩に根ざして150年――」をうたう、家業としてこの地で長く受け継いできた工務店です。明治初期の創業で、宮大工を始祖に持ちます。

当時、「天才宮大工」と言われていたと伝わる初代・石黒善太郎は、たいへん優秀な職人として知られ、さまざまな木造建築物に携わりました。木を見て、土地を知る、大丸建設の「木づかい、気づかい」の歴史は初代から受け継がれています。

2代目の石黒仙太郎は、建築家として名を馳せました。東京・墨田河畔の東堂伯爵邸(大正2年9月の関東大震災で焼失)、飛鳥文吉邸など、大正・昭和を代表する名建築を手がけたことで知られています。

昭和に入り、3代目の石黒善次郎が大丸建設の前身となる「石黒組」を発足し、今に続く組織の土台をつくりました。昭和36年に株式会社大丸建設を創設し、今に至ります。

大丸建設は「匠の技」を受け継ぐ工務店として、創業以来150年の歴史を未来につないでいきます。

仕上がりのよさを選ぶならやっぱりプロに

DIYは気軽に楽しめるものですが、仕上がりをよくするならば、やはりプロに頼む方がおすすめです。左官壁を塗る場合は、素人でやるとどうしても厚ぼったくなってしまったり、隅角部や桟の際の仕上げがピシッと決まらずにはみ出してしまうなど、精緻な美しさを求めるのはどうしても難しくなります。

また、棚などのDIYも、地震などの災害を考えると、下地に設置できるような技術が必要になりますし、きちんと釘が刺さるかどうかも含めて、できればプロに頼む方が賢明です。自分で持ち運びできるような小さめの棚であれば、DIYでも十分に楽しむことができます。

「造作」の魅力は、なんといっても、自分の思い通りの棚や家具をつくれることです。棚の幅や高さのピッチも自由自在ですし、ペイントだって自分の好みに仕上げることができます。DIYの延長として楽しむもよし、プロと一緒に自分で手を動かすのもよし、工夫次第でどこまでもオリジナリティを楽しめます。私たち大丸建設も、DIYのアドバイスもできるので、お気軽にご相談ください。

[写真:会社HP事例紹介より「壁のない土間の家」]

DIYで楽しむこともできる

昨今の社会情勢で巣ごもり需要が増すなかで、住まいを快適にしたいと、DIYを楽しむ人が増えているように感じます。壁に漆喰を塗る、オープンラックを自作する、洗面所の鏡をお気に入りのものに付け替えるなど、玄人顔負けの技術を持った方もいて、私たちも驚くくらいです。

DIYする時に気をつけたいのは、壁に何かを取り付ける時に、下地を意識することです。木造住宅ならば、胴縁や石膏ボードがある場所でなければ、棚やラックなどを取り付けることはできません。マンションなどの鉄筋コンクリート造の場合は、下地の場所探しは難航します。ホームセンター等で「下地どこ太」という石膏ボード用の下地探しが売っており、安価で手に入るので、こうした便利グッズを活用するのもよいでしょう。

収納家具全盛期からミニマリストへ

日本で「収納」という概念が生まれたのは比較的最近で、主に布団をしまう目的の「押入」と、衣類をしまう「箪笥」があります。そのうち、食器を片付ける食器棚、本を置く本棚などが登場し、部屋にさまざまな収納家具があふれるようになったのは、意外にも戦後のことです。

押入れに加えて収納家具が増え、生活面積を圧迫するようになって、近年流行したワードが「片付け」「断捨離」「ミニマリスト」です。本当に必要なモノだけを厳選してシンプルに暮らそうというメッセージに、モノにあふれた現代社会で共感が広がっています。

大丸のお客様でも、最近、箪笥や食器棚といった「家具」をなくして、カウンター収納にしたり、ウォークインクローゼットで家具を置かない家庭も増えています。そんな時に、大工技術による「造作」で、細やかなニーズに対応できるのが大丸建設の強みです。

押入れ、収納の歴史

日本で「収納」という概念が登場したのは、おそらく明治時代になってからで、比較的最近のことです。文化財として公開されている古民家を見学しても、床の間や仏間はあるものの、押入れは見当たらず、衣類などは箪笥(たんす)に入れたり、衣紋掛け(えもんかけ)に着物を掛けるなどして収納していたことがわかります。

江戸時代まで綿入の布団は高級品で、一般庶民の生活とはかけ離れたものでした。畳で寝られるのはまだいい方で、藁の上に寝る庶民が多数だったことを考えると、衣類や布団など、たくさんのモノをしまう必要がそもそもなかったのかもしれません。

着物を入れられる箪笥も、庶民にとっては高級品。そもそも、着物自体を何着も持つことがなかった江戸時代までを考えると、押入れが登場して布団や衣類を収納する環境になったことが、豊かさの象徴なのかもしれません。

畳のサイズは地域によって異なる

日本の住まいは「尺貫法」という寸法で計算することが多いのですが、もっともイメージしやすいのが畳のサイズで、だいたい半間を1モジュールとして、半間の畳×2枚で、長幅が一間の畳が1枚、という計算になります。新築住宅やマンションの折込チラシでは、部屋の大きさを示す基準として、今でも「*畳(あるいは*J)」という形で表示されることが多いです。それだけ、日本人の空間認識に「畳」が影響していることがわかります。

その畳、実は地域によってサイズが微妙に異なります。

・関東地方では「江戸間」(1760mm×880mm)

・主に愛知県を中心とした中京地域や、一部近畿、四国地方などで使われている「中京間」(1820mm×910mm)

・関西以西で使われることの多い「京間」(1910mm×955mm)

ほかに、戦後に公団住宅などで広がった「団地間」(1700mm×850mm)

があり、同じ「*畳間」でもずいぶん広さが異なることがわかります。

[写真:会社HPの事例紹介より「木材をふんだんに使った自然素材の家」]