今後の目標は、一緒に会社を動かしていく人材を育てること

 私の父でもある大丸建設現社長・安田昭は、もうそろそろ古希を迎えます。私も世代交代を意識する年齢にさしかかりました。明治初期の創業から140年、現社長で5代を数える大丸建設は、地域に根ざし、多くのお客様の口コミや紹介で支えられ、今では親子代々にわたってご愛顧してくださる方も多く、この家業を継いで次に伝えていく使命を私自身、感じています。
 今の大丸建設は、社長や兄である常務・安田博昭、私の入社前から営業を一手に担っているインテリアコーディネーターでもある田上純子、そして同世代の現場監督・雨宮和幸が中心となり、パートさんや大工を始めとする職人さんたちによって支えられています。今建てているお客さんのため、今後お迎えするお客さんのため、大丸建設自身も持続可能であるよう、私の片腕となってくれる後輩と、しっかり理念や想いを共有し、社員の提案やチャレンジを受け止め、挑戦できる土壌をつくり、よき住まいをつくり続け、200年の歴史につないでいきたいと思います。

チルチンびとや匠の会で、同世代の建築仲間と出会う

 私も30代になり、会社での仕事を中心になって回すようになると、会社のお客様だけでなく、日本の木造住宅建築を担う同業他社との関わりも増えるようになりました。
 その中でも特に、「匠の会」と「チルチンびと『地域主義』工務店の会」でともにご一緒している、千葉工務店(埼玉県)の千葉社長や、高棟建設工業(神奈川県)の高橋社長など、私にとって兄貴分にもあたる先輩社長とのお付き合いが深まるようになりました。それぞれ、日本の杉や檜の無垢材と自然素材を使い、地域密着型、家族経営の代々の工務店として、共通点も多く、個性の異なる先輩たちは私に後ろ姿を見せてくれ、とても勉強になります。
 「チルチンびと『地域主義』工務店の会」では、有害化学物質ゼロの家づくり、地域を活性化する住まいや林業の担い手たちと、ともに学び、時に熱く議論しながら、日本の木造建築の最先端を作り上げてきました。その時の学びやネットワークは今でも私の礎になり、また今後の伸びしろもあるだろうなあ、と感じています。

4年目に一級建築士に合格!

 私が大丸建設の仕事で「少しは一人前に近づけたのかな?」と感じるようになったのは、入社して5年くらい経った、30代に入るころかと思います。
 20代のころはひたすら現場で汗をかき、父である社長や先輩社員たちの背中を見ながら、勉強、勉強の日々。
 文字通り受験勉強もしていました。一級建築士の試験です。木造建築の現場では二級建築士の資格でも十分なのですが、社会的信用度などの観点からも、一級建築士の資格を取得したいと、働きながら勉強を重ねて、入社後、4年目で合格しました。
 そのころから、少しずつ現場と会社の運営と、両面を見る余裕が出てきて、会社の中での自分の役割も意識するようになりました。30代になって会社の中核を担うようになってくると、ますます仕事が楽しく感じられるようになりました。

自学自習で木造建築を自分のものにしていった

 24歳で大丸建設に入社してからは、ひたすら現場で汗を流す毎日でした。現場監督として会社と職人さんをつなぎ、時にはお客様との打ち合わせに同席して営業的な役割も担当していました。入社当時は、特に「先輩」と呼ぶようなロールモデルもおらず、父や、営業の田上や、設計担当スタッフなどの仕事を見ながら、現場で「見て、感じて覚える」自学自習スタイルで、木造建築を少しずつ自分のカラダに染み込ませていきました。
 実は、大学3、4年生から専門学校時代も、アルバイトで会社の現場に入っていたのです。その時はひたすら大工さんのお手伝いで、現場の片付けや掃除、大工さんの刻みの手伝いなど、木のにおいと現場のにおいに囲まれて過ごしていました。
 今でも大工さんと職人さんに頭が上がらないのは、現場での大変さと、技術の確かさ、そういったものを肌で感じていたからだと思います。
 その時の経験から、職人さんとの連絡や調整は綿密にするよう、今でも心がけています。

大学では建築系で、土木の勉強をしました

 大学受験のころになると、進路について真剣に考えるようになりました。父は「建築の道に進め」とは一言も言いませんでしたが、「大学には行きなさい。大学は友達をつくる場だから」と言われました。
 高校時代は、勉強はそこそこに、遊びも楽しんでいたので、いざ進路を決めるとなると悩みもしましたが、幼い頃から漠然と感じていた「将来は建築の道に進むんだろうな」という思いは徐々に明確になっていき、推薦入試で建築系の土木を学ぶ学部に合格しました。
 それからの4年間は、いずれ自分に必要になるだろうと、土木の勉強をしっかりして、大学を卒業するころには明確に「家業である大丸建設を継ごう」と意識するようになりました。大学時代の土木の勉強では、木造住宅建築の現場で働くには知識も経験も足りなかったので、卒業後さらに2年、専門学校で建築を学びました。
 私が大丸建設に入社したのは24歳の時。もしかしたら、大丸建設の100有余年の歴史で初めての「新卒」として入社したのかもしれません。

小さなころから漠然と、将来の道は見えていた。

 幼い頃から父の仕事に同行し、建築現場にふれ、何となくではありますが、自分の将来を考える時には「住宅建築の道に行くんだろうなあ」という方向性が、漠然と見えていたような気がします。
 小学校・中学校時代は、典型的な理系でした。国語はまったくの苦手ではありましたが、理科や数学は得意で、難なく理解できたような気がします。ただ、スピードは常にゆっくりでコツコツと積み上げて勉強していくようなタイプだった気がします。
 私の2つ上の兄は、何をするにも理解力が早く要領がよかったので、常に「かなわない存在」でした。私は地道派で、兄には時々、「兄貴は頭のよい子に教えるのがうまい。俺はできない子に教えるのがうまい。わかりにくいことを、じっくりわかりやすくするまで理解するのが得意だった」なんて言って、張り合っていました(笑)。

小さいころの思い出

 大丸建設は創業明治初期、木造建築を得意とする宮大工である初代・石黒善太郎が始めて、現社長の安田昭で5代目です。140年の歴史を持つ大丸建設の6代目になることを意識し、日々仕事に励んでいます。
 私には2つ違いの兄(大丸建設常務の安田博昭)がいて、兄と二人、いつも父の背中を見ていたように思います。父と遊んだ記憶はあまりないのですが、ことあるごとに建設現場に連れて行ってくれて、幼少時から木や大工道具が身近にある生活を送っていました。
 当時の父は、おそらく今の私と同じような立場で、設計も現場監督もやりながら、お客様との打ち合わせなども担当していたのではないかと思います。父とともにお客様との打ち合わせに同席してお菓子をいただいたり、建設現場で職人さんの技を見て憧れたり、常日頃木材にふれていたりと、幼い頃から「建築」という職業が私のアイデンティティに刻まれていたように思います。