不易と流行

大丸建設の建てる住まいは、決して派手ではなく、素朴で、温かみのある、等身大の家だと思います。これまで自社設計で、耐震性や素材の安全性を担保しながら、お客様の夢や希望を図面におこして、安心・安全な家づくりを進めてきました。

ここ数年は、積極的に建築家とご一緒し、デザイン性の高い住まいの施工を手がけることが増えています。建築雑誌『チルチンびと』などのネットワークを通じ、自然素材を使うこと、家づくりへの理念に共感し、信頼できる建築家との仕事は、私たちにとっても大きな学びになっています。

150年にわたる家業の歴史のなかで、宮大工として匠の技を競い名を馳せていた時期、戦後に建築業として規模を拡大した時期、新建材を使った時期、そして自然素材に原点回帰した時期……さまざまなことがありました。それでも変わらない、私たちの中心は「木を使うこと、匠の技を受け継ぐこと、地域に根差すこと、お客様と長くお付き合いしていくこと」です。会社としての軸をしっかりと持ち、これからも長くお客さまに信頼される工務店でありたいと願っています。

[写真=2020年完成 / 設計:ことこと設計室]

お客様の家を長く支えるために

大丸建設では、「家は、お引き渡しからが本当のお付き合いの始まり」という社是が長く伝わっています。家づくりはどうしても「つくる」ことに重きがおかれがちですが、実は竣工してからこそが工務店の存在意義とも言えます。その家のことを最もよく知るのは、私たち工務店です。構造や内装、床下、天井裏に至るまで、設計図や素材の一覧を持ち、住んでから時間が経っても、プロとしてその住まいの状態を的確に把握することができます。

そもそも、私たちは、家を建てる時点で、「3世代、100年以上住める家」を設計しています。良質な材料を使い、地震や風雨に耐え、長く住んでも飽きない、美化する家をつくっています。そして、長きにわたり、メンテナンスができるよう、設計図書を社内で受け継ぎ、お電話一本で修理、営繕に対応します。

良質な材料を使い、長く住める家づくりをしてきた大丸建設だからこそ、お客様の住まいを何十年にもわたりお支えする。そのため、会社を長く存続させていかなければなりません。

 

匠の技を受け継ぐ工務店として

株式会社大丸建設の創業は昭和36年です。明治初期に天才宮大工を初代として創業し、家業として代々受け継ぎ、3代目の石黒善次郎が木造注文住宅、店舗、アパート、鉄骨・鉄筋建築を生業とする地域工務店として会社化しました。3代目は大丸建設の中興の祖として、今につながる礎を築きました。地域に根ざした工務店として、4代目の石黒善弥、そして母方を石黒家に持つ5代目・安田昭が会社を受け継ぎ、今に至ります。

5代目の安田昭は、昭和18年生まれ。戦後の高度経済成長を肌身に感じ、家づくりの効率化や大量生産の様子を目の当たりにしてきました。家を合理的に建てることのできる新建材を扱ったこともありますが、「本当の家づくりとは何か」に真剣に向き合ってきた結果、先祖代々受け継いできた「匠の技」「木と自然素材の家」に原点回帰しました。

大丸建設は1980年に「協同組合匠の会」に入会、2003年に「チルチンびと『地域主義工務店』の会」に入会し、志を同じくする全国の工務店と、本物の木の家づくりに邁進しています。

[五代目:安田 昭]

大丸建設の歴史

大丸建設は「多摩に根ざして150年――」をうたう、家業としてこの地で長く受け継いできた工務店です。明治初期の創業で、宮大工を始祖に持ちます。

当時、「天才宮大工」と言われていたと伝わる初代・石黒善太郎は、たいへん優秀な職人として知られ、さまざまな木造建築物に携わりました。木を見て、土地を知る、大丸建設の「木づかい、気づかい」の歴史は初代から受け継がれています。

2代目の石黒仙太郎は、建築家として名を馳せました。東京・墨田河畔の東堂伯爵邸(大正2年9月の関東大震災で焼失)、飛鳥文吉邸など、大正・昭和を代表する名建築を手がけたことで知られています。

昭和に入り、3代目の石黒善次郎が大丸建設の前身となる「石黒組」を発足し、今に続く組織の土台をつくりました。昭和36年に株式会社大丸建設を創設し、今に至ります。

大丸建設は「匠の技」を受け継ぐ工務店として、創業以来150年の歴史を未来につないでいきます。