(7) ウッドショックをきっかけに国産材の価値を高めたい

2カ月にわたりウッドショックについて考えてきましたが、そもそも木材の原材料費がどのように決まるのか、日本の住宅建築における国産材の重要性、ひいては産地を守り育てることの大切さを突きつけられる、大きなきっかけになったのではないかと思います。

大丸建設のように、日本で古くから伝わる木造建築を主とする工務店は、木材がなければ家を建てることはできません。もちろん、輸入材も木材なので私たちは家を建てることはできますが、大丸建設の大工・職人は、国産材(スギ・ヒノキ)を扱うことに長けていて、木目のくせ、やわらかさ、強度、材質など、同じ種類の材であっても、部位によって適材適所を使い分けるやり方で、木を無駄なく大切に安全に使う技術を持っています。日本の高温多湿な気候風土に適した材は、なんといっても国産材(スギ・ヒノキ)だと私は思っています。そして、国産材を安全に美しく使い尽くす技術、つまり「匠の技」を伝え、その価値を残し高めていくことが大切だと私は考えています。

 

(6) 木材の値段はどのように決まるのか

木材価格がそもそも適正かどうか、それを考えるのには、木材がどのように流通しているかを知ることが大切です。

木材は山から搬出され、原木(丸太)がストックヤード(貯木場)に置かれたあと、市場に売りに出される、合板工場・集成材工場・製材工場に送って加工され、ハウスメーカーや工務店などの住宅市場に売りに出されます。

木材価格は、原木市場でのセリによって価格変動し、また合板・製材工場のストック量が増えれば価格下落、在庫が減れば価格上昇となります。国産材市場は材のストックの量で変わるのですが、もちろんその価格は海外からの輸入材にも影響され、輸入材の量や円高ドル高などの為替相場によっても大きく変動します。

今回のウッドショックは、輸入材の減少と価格高騰が引き金になって、国産材の需要過多、在庫減少が連鎖的に起こり、結果的に国産材の価格も大幅上昇となりました。

(5) ウッドショックで国産材価格はむしろ適正に?

林野庁の統計データを見ると、国産材の価格はそもそも安すぎたのではないか、という指摘があります。統計データをとり始めた1960年(昭和35年)はスギの丸太1流米(m2)あたり10,000円ほどで、1980年(昭和55年)までは上昇を続け、40,000円ほどになりました。その後、価格が下落を続け、2020年は13,000円ほど。結果的に、ウッドショックで国産スギ材の価格が20,000円ほどに上がったとしても、そもそもウッドショック前の値段が適正だったのかどうかを考え直さなければなりません。

もちろん、お客様にとっては、素材の価格は安いに越したことはないですし、国産材が高いから国産材を使えない、という選択になるのは、工務店として避けたいのが本音です。しかし、木材価格があまりに安いと、林業そのものが持続可能ではなくなるので、今後数十年先を見越した時に、日本の木材加工の技術や日本独自の建築工法が廃れてしまうのは残念極まりないです。

何をもって適正価格というのか、ウッドショックをきっかけに、私たち工務店も、お客様も、一緒に考えていくことができればと思います。

 

(4) ウッドショックはいつまで続くのか

今年前半、住宅業界や木材産業を揺るがしたウッドショックですが、いつまで続くのでしょうか。実際のところ、まだ見通しが立っていないというのが本当のところで、少なくとも新型コロナウイルスの感染拡大がある程度落ち着いてみないと、市場動向までは見極められないようです。北米ではワクチン接種が進み、移動や交流が活発化してきているので、数カ月もすれば住宅需要も落ち着いてくるという見方もありますが、感染症の流行は予断を許さない状況なので、現時点では何一つ確定的なことはないと言えます。

少なくとも、国内では木材価格の高騰は続き、国内の木材ストックが減って、材料の奪い合いの状況がまだまだ深刻です。資金力に余裕のある大手住宅メーカーは、ウッドショックの影響はあったとしても軽微でしょう。中小工務店への影響は深刻で、今後、材を手配できずに業務ができない、資金繰りがまわらずに倒産といったケースも出てくるかもしれません。

大丸建設のように産地と直接つながっている工務店は、影響があってもこれまでの信頼関係の蓄積で、材が入手できない、工期が遅れるところまでには至っていません。長年の経営姿勢に救われている面があると思い、今後も手綱を緩めることなく、産地との関係性を大切にしていきたいです。

 

(3) 粗利を削りながら対応している厳しさ

価格の高騰も悩ましいところです。大丸建設でも木材の仕入れ価格がすでに10〜20%上がってきています。価格を全てお客様に転嫁するのも厳しいので、私たちも粗利を削って対応してきていますが、それも限界のところまできています。

一般的に、住宅の建築費に占める木材の価格の割合は、1割程度なので、例えば総工費が4,000万円の住宅の場合は、10%を材木費とすると400万円、そのうちの10〜20%の価格上昇として工務店が粗利を削ったとしても、最終的にはお客様への価格転嫁の影響は木材価格の10%として、40万円くらいは負担が増える、ということになります。

私たちも、なるべくお客様の負担を減らしたいと、限界近くまでがんばっていますが、そもそも工務店がつぶれてしまっては元も子もないので、かなり厳しい計算と、予測をたてながら、見積もりをつくっている状況です。

どうぞご理解をいただければ幸いです。

 

(2) ウッドショックの中小工務店への影響

ウッドショックが中小工務店にもたらしている影響は、はかりしれません。まず一つは、建築の主要材である木材が入手しにくくなっていること。これまで輸入材に頼っていた工務店やハウスメーカーが、こぞって国産材に手を出しています。材木店や産地で供給量が逼迫し、早ければ今夏にはストックがなくなる材木店も出てくると言われています。資金力に余裕のある大手メーカーが、多少高値になったとしても木材を確保し出すと、資金力のない中小工務店はお手上げです。

材料が確保できないと、家を建てることができません。特に新築住宅の場合はまとまった量の材料が必要となり、着工時期をずらすなどして調整をはかることもあります。ストックヤードがあって、ある程度材を確保できている工務店ならば、数カ月はしのぐことができても、それでも影響が長期化すると、先行きが見えなくなります。

お客様がいても、家を建てられない! これは最大の影響で、多くの中小工務店が悲鳴をあげています。

 

(1) “ウッドショック”の影響が止まりません

7月は、先月に引き続き、ウッドショックの影響についてお話ししたいと思います。

2021年ごろから問題が表面化し、春先あたりから中小工務店にも影響が及ぶようになってきたウッドショック。新型コロナウイルスの世界的な流行により、世界的にライフスタイルの変化がおこり、特に家のDIY文化が盛んな米国で住宅需要が高まったことから、主に北米産材を中心に木材の需要が過多となりました。中国経済の回復や、春先に起こった運河でのコンテナ座礁事故による物流の混乱も重なり、世界的に材木が入手困難な状況になってしまいました。

日本の木材自給率は37.8%(2019年度)で、輸入材が使えなくなると、急に国産材への注目が高まり、国産材の市場の奪い合いという状況が起こっています。私たち大丸建設は、もともと産地との結びつきが強いため、産地直送で国産材を仕入れることができていましたが、6月に入ってついに、一部の産地からは材の供給見通しが厳しい状況にあると連絡を受け、対策を検討しているところです。

 

木材自給率を50%以上に

戦後の拡大造林期、復興時期の日本では、日本の木材自給率は90%以上だったものの、高度経済成長が始まるなかで、木材の需要が高まり、段階的に外国産材の輸入を始めようという機運が高まりました。昭和39年に木材の自由化が始まり、安価で品質が安定している外国産材が日本国内に入るようになりました。その後、ツーバイフォーや集成材などの新建材におされ、昭和45年には木材自給率が45%に。50%を割り込むと、林業が成り立たなくなり、一次産業でもある林業の従事者が減り、山が荒廃していく悪循環に陥りました。

平成14年の木材自給率は18.8%と底をつき、このままでは日本の住宅産業が壊滅的な状況になってしまうと、国産の集成材への後押しや、プレカット技術の普及が進みました。21世紀になり、地球温暖化や気象の激化などの洪水調節、水源涵養機能など、環境面からの森林の多面的な役割が見直されるようにもなりました。

最新の木材自給率(2019年度)は37.8%まで回復し、2025年の木材自給率50%の目標達成に向けて、弾みをつけたいところです。

今回のウッドショックで、外国産材に頼るリスクを肌身で感じた私たち住宅業界。ぜひ、中長期的な視野で日本の林業を支えていきたいものです。

[参照:林野庁の資料より]

日本の林業の歴史

日本ではなぜ、木材の6割以上を輸入に頼るようになったのでしょうか。

林野庁の資料によると、日本では古来、森林資源を建築や燃料(薪炭)として利用してきた歴史があります。江戸時代には建築文化が著しく発達し、木材供給が過剰になり、江戸の近くでは山の木が大量に伐採される事態に陥りました。そうして、江戸時代の大都市近郊で、育てやすく木質が素直なスギやヒノキが造林されるようになり、林業が産業としてスタートしていきます。

明治維新によって西欧の文明が入り、日本も近代化がスタートします。建築用材のニーズが増え、住宅だけでなく工場や公共建築、造船など、多用途に木が使われるようになりました。明治30年には我が国初めての「森林法」が制定され、本格的に森林整備が始まります。国有林、私有林の棲み分けができてきたのもこの頃です。

太平洋戦争が始まると、軍需物資として大量の木材が必要になり、大規模な森林伐採が行われました。戦後、荒廃した森林を再生し、林業を立て直すために、 スギ・ヒノキを中心に戦後の拡大造林が行われます。

私たちが現在使用しているのは、戦後に植えられた木がほとんどです。

山を守る視点を持つこと

ウッドショックにより、木材の6割以上を外国産材に頼ってきた日本の住宅業界のもろさが浮き彫りになりました。ここで国産材に注目が集まってきていますが、一時的に国産材に需要が集中することで市場が混乱することがよいとは思えません。

私たち大丸建設は長年、「山を守る」視点を持って、日本の林業生産者と手を携えてきました。国産木材の多くは、戦後に植えられたスギで、1本のスギが使えるようになるまでは、50〜60年ほどかかります。その間、スギに光が当たるように間引きをしたり、下草を刈って山を整備する、いわゆる「山守り」の仕事が大切になります。

適正に管理された山は、雨水を蓄え、洪水の調節機能を持つなど、環境保全に役立ちます。一方で、管理が行き届かない山は荒れ、土地が痩せ衰えます。大雨の時には土砂崩れや洪水の原因になることも。

日本の山を維持管理していくためには、林業が産業として成り立たなければなりません。経済が回らないと、山で働く人がいなくなるからです。

 

[写真提供:山長商店]