第2回 なぜ大工が足りなくなるのか

大工不足の背景には、いくつもの要因が重なっています。いちばん大きいのは高齢化です。建設業は55歳以上の比率が高く、若い担い手が薄い構造が続いています。


もう一つは、「入り口」と「定着」です。若い人が入ってこない、入っても続かない。仕事の大変さだけでなく、現場の不規則さ、将来像の描きにくさも影響します。若い世代ほど「休みが少ない」「賃金が低い」といった就労環境の課題を挙げ、離職率が高いのが現状です。私のブログでも再三記載していますが、夏場の暑さも大きな要因ではないかと私は考えています。
加えて、2024年4月から建設業にも時間外労働の上限規制が本格適用されました。 これは労働環境を改善するうえでは必要なことと考えられますが、一方で、短期的には「限られた人手で段取りをより厳密にする」ことが求められます。
人が減る、若手が続かない、働き方は変わる。三つが同時に進むからこそ、現場はじわじわ厳しい環境になり、経営側としても打撃を受けています。

 

第1回 建築業界全体が大工不足に直面

ここ数年、現場でいちばん実感するのが「大工が足りない」という事実です。大丸建設では幸い、常用の大工がいて、技術が受け継がれていますが、それにしても絶対数が足りません。これは大丸建設だけの話ではなく、全国の工務店が同じ悩みを抱えています。


数字で見ても状況ははっきりしています。住宅分野の資料では、大工は長期的に減少し、2020年時点で約20万人と“20年で半減”してしまいました。 さらに、大工の高齢化が進んでいます。建設業全体を見ても、就業者は1997年をピークに減り続け、2024年は477万人まで減少したというデータがあります。

 

つまり、現場が忙しいから足りないのではなく、働く人の“母数”が減り、ベテランが多く、若手が薄い。こうした社会的な構造のなかで、私たちは家を建てています。今の大工不足は「景気の波」ではなく、社会のかたちそのものが生んでいる問題だと感じます。

第8回 地域を知り尽くした工務店がつくる安心感

家づくりは、デザインや性能だけで完結するものではありません。どんな街に、どんな環境で、どんな暮らしを重ねていくのか。それを理解したうえで初めて、「その場所に合った家」になるのだと、私は考えています。

 

私たち大丸建設は、稲城市を拠点に、160年以上にわたって家づくりを続けてきました。

この街の気候、地形、風の通り、そして時代ごとに変わってきた暮らし方を、現場の積み重ねとして見てきました。同じ稲城市内でも、丘陵地と平地では家のつくり方は変わります。

 

また、街は少しずつ変化しています。開発が進み、利便性が高まる一方で、交通量や人の流れ、音の感じ方も変わっていく。そうした変化を前提に、「これから先の暮らし」を見据えた住まいを考えることが、地域に根ざした工務店の役割だと思っています。

家は、建てた瞬間が完成ではありません。10年後、20年後、子育ての時期、そして年を重ねたあとの暮らしまで含めて、本当の意味での“住まい”になります。その長い時間を想像しながら設計し、素材を選び、工事を進める。それは、地域を知らなければできない仕事です。

 

私たちが大切にしているのは、「お客様との顔が見える距離感」です。建てて終わりではなく、暮らしが続く限り、相談できる存在であること。困ったときに、「あそこに聞いてみよう」と思い出してもらえること。それが、地域工務店としての価値だと考えています。

 

第7回 年を重ねても安心して暮らせる街、稲城市

私は昨年末に50歳という年齢になり、父である先代社長も80代半ばになり、最近は「老後」という言葉が、以前よりもずっと現実味をもって感じられるようになりました。

 

家づくりの仕事をしていると、若いご家族だけでなく、「この家で最後まで暮らしたい」とおっしゃる方の相談も増えてきます。そのとき必ず考えるのが、お客さまがこの街で年を重ねていけるかどうかという点です。

 

稲城市は福祉に対する行政の姿勢がとても堅実だと評判です。たとえば親の介護が必要となった時に行政が親身になって対応していただけると聞いています。これは、実際に暮らすうえで、思っている以上に大きな安心材料になるはずです。

高齢になると、身体のこと、家のこと、家族のことなど、悩みは一つでは済まなくなります。

そんなときに、「まずはここに聞いてみよう」と思える窓口があるかどうかは、とても大切なポイントではないでしょうか。

住まいの面でも、老後の安心は家そのものに大きく左右されます。段差の少なさ、室内の温熱環境、将来の生活の変化に対応できる間取りなど、「元気なうち」に整えておくことで、暮らしの安心感は担保されていくはずです。

 

家は、人生のどこか一時期のためのものではありません。住み慣れた街で、安心して年を重ねていけること。その当たり前を支えてくれる場所として、稲城市はよい選択肢だと、私は感じています。

 

第6回 稲城市の子育て環境のよさ

稲城市は、子育て支援について誠実に取り組んできた街といえます。保育や教育、子育て支援の相談体制など、派手さはありませんが、必要なところにきちんと手が届くといえます。実際に、子育て世帯が生活の中で「困りきってしまう前に相談できる」、そんな距離感が保たれているようです。

 

稲城市では、公園や子育て支援施設が整備されており、小さな子どもを連れたご家族の姿をよく見かけます。公園や緑道、住宅地の中の遊び場など、どこか余白があり、子どもたちが外で育つ環境が残っています。

また、学校や地域のつながりも、稲城らしさのひとつと言えます。大きすぎない街だからこそ、顔が見える関係が保たれている。子どもを通じて自然に生まれるつながりが、親世代の安心にもなっているようです。

安心して歩ける道があること。子どもの声が特別扱いされないこと。そんな小さな積み重ねが、「この街で子どもを育てよう」というニーズの源泉になっているはずです。

 

第5回 ジャイアンツタウンが映す、稲城のこれから

稲城のまちは、ここ数年で「変化のスピード」が上がっているように感じます。

その象徴のひとつが、南山エリアで進む 「TOKYO GIANTS TOWN」 です。稲城市ではここを“新たな賑わいの拠点”として位置づけています。

2025年には「ジャイアンツタウン スタジアム」が開業し、イースタン・リーグ公式戦の舞台になっています。さらに 2027年には、水族館と飲食施設を含めたグランドオープンが予定されています。

一方で、地元工務店の目線としては、浮かれすぎない距離感も大切にしたいところです。

大きな開発は、街に活気をもたらす反面、生活者にとっては 交通量・人の流れ・周辺環境の変化が現実として起こります。外部環境が変われば、家の中では落ち着いて暮らしたいものです。窓の取り方、断熱、換気、植栽の計画、敷地の使い方など、「家の設計」は、街の変化に対する現実的な備えになります。

 

稲城は、開発と自然がせめぎ合うのではなく、うまく共存してきた街です。ジャイアンツタウンのグランドオープンにワクワクしながら、同時に足元も見失わずに。地域に変化が起こる時ほど、住まいは“守り”を固めていきたいと思っています。

 

第4回 今、稲城市に住むという選択

稲城市は東京の都心と違い、派手に名前が出る街ではありませんが、新築で住宅を建てる価格帯と、開発余地があるため、新規で住宅を取得する方の選択肢にあがりやすいように感じています。

稲城市は都心との距離感が絶妙で、通勤圏でありながら、駅を少し離れると住宅地は落ち着いていて、ほどよい利便性が魅力です。日常生活に必要なものはきちんと身近に揃い、必要以上に人が集中しない分、朝夕の時間帯もどこか穏やかです。

 

家づくりの視点で見ても、丘陵地ならではの高低差があり、風の通り方や日照条件など、土地ごとに個性があり、画一的な家ではなく「その場所に合わせた住まい」が求められます。

 

住む場所を選ぶということは、これからの時間の使い方を選ぶことでもあります。稲城という選択肢は、住宅ローンに追われすぎずに、ほどよく落ち着いた暮らしを思い描く方にとって、十分に検討する価値のある街だと、私は感じています。

第3回 開発と自然のほどよいバランスが稲城市の魅力

私が生まれてからの50年を振り返るとき、同時に思い浮かぶのが、生まれ育った東京・多摩地域の風景です。開発によって大きく変わった部分と、今でも変わらない自然。特に多摩川は私にとって大切な遊び場であり、家族の思い出が詰まった場所です。

 

かつての稲城市は、今よりもずっと農地が身近にあり、畑や雑木林が生活のすぐそばにありました。その後、多摩ニュータウンをはじめとする開発が進み、道路が整備され、住宅地が増え、街としての利便性は大きく向上しました。都心へのアクセスも改善され、利便性も高まりました。

一方で、稲城は開発一辺倒にはなりませんでした。多摩丘陵の地形を活かした緑地や公園、

川沿いの風景など、自然が完全に失われることなく残されてきました。

この街の変化を間近で見てきたからこそ、私たちは「その場所に合った家」をつくる必要があると感じています。街の歴史を知り、変わらない価値を大切にしながら、これからの地域にふさわしい住まいを考える。

それが、この地域で長く家づくりを続けてきた工務店の役割だと思っています。

 

第2回 50年、節目の年に。

昨年末、私自身が50歳の誕生日を迎えました。

160年以上続く会社の歴史に比べれば、まだまだ若輩者ですが、それでも「生まれてからの50年」を振り返ると、社会は本当に大きく変わったと感じます。

 

私が子どもの頃、日本はまだ高度経済成長の余韻を残していました。家は「早く、たくさん建てる」ことが求められる時代でした。

やがてバブル経済が訪れ、住宅にも「大きさ」や「見栄」が求められる時代がありました。そんな中でも私たち大丸建設は、派手さよりも本質的な住まいの価値を求め、自然素材を大切に、大工技術をその中心に据えて仕事を続けてきました。

 

人口構成は変わり、家族のかたちも多様になりました。共働き世帯が増え、子育てや介護を同時に考える必要も出てきました。さらに近年では、気候変動やエネルギー問題といった「暮らしの前提」そのものが揺らいでいます。

 

こうした50年の変化の中で、家づくりは「量」から「質」へ、「新しさ」から「持続性」へと軸足を移してきました。断熱性能、耐震性、素材の選び方、そして何より、長く安心して住み続けられるかどうかが問われる時代になったのだと思います。

社会が大きく変わった50年。だからこそ、これからの家づくりには、地に足のついた判断と、経験に裏打ちされた視点が必要です。

次の50年を見据えて、私はこれからも一棟一棟の家と向き合っていきたいと考えています。

 

木の表情(8)) 「木づかい」に長けた工務店として

年の瀬になり、日ごとに冷えが深まるなか、今年つくった家のことを思い返しています。どの現場でも、私たちは木と対話し、木を読み、木を生かすことに努めてきました。設計者の意図を汲みつつも、現場でどの木をどう使うのかは、工務店や大工の采配に任されます。誇りをもって木に向き合ってきたこと、これは年が変わっても不変の大丸建設の姿勢です。

 

木にはそれぞれ“顔”があります。年輪の詰まり、白身と赤身、木表と木裏、節の有無、樹種による特性。これらはすべて「この木がどんな木か」を語るサインであり、同時に「この木をどう使うか」を決める判断材料になります。

家をつくるというのは、単に木を並べることではありません。構造、安全、快適性、コスト、将来のメンテナンス……。それらを見据えて、「どの木を、どこに、どんな工程で使うか」を采配するのが工務店の責任です。

私たち大丸建設は、明治初期からの160年の歴史とともに、多くの木と向き合ってきました。紀州・山長商店をはじめとした全国の産地から直接取り寄せる杉。檜やヒバ、広葉樹を使うこともあります。

一本一本の木の声に耳を澄ませ、その木が一番生きる形で、住まいをつくる。それが、私たちの誇りであり、責務です。

木の表情を読み切る——それは単なる技術ではなく、木を敬い、木に応える姿勢です。
来る年も、この姿勢を変えることなく、一つひとつの家と、向き合ってまいります。

本年もお世話になりありがとうございました。良いお年をお迎えください。