2013年03月23日(土)

地震はなぜ起こるのか?

 地震が発生するメカニズムは、大きく2つあると考えられています。
 一つは、海溝型(プレート境界型)で、地中深くの岩盤(プレート)に巨大なエネルギー負荷がかかり、衝撃を吸収しきれなくなった時に、プレートのずれ、ひずみなどが起こり、それが地震につながります。プレート型の地震は陸から離れた海底で起こることが多く、津波を引き起こすこともあります。震源も深く、揺れが広範囲に広がりやすいと言われています。東日本大震災はプレート型の地震でした。地震による死者よりも、津波の方の被害が大きかったと考えられています。
 もう一つは内陸型(直下型)地震です。こちらは断層のずれによって起こり、震源は浅いです。揺れの範囲はプレート型に比べると局地的ですが、直下型の地震ということもあり被害が大きくなりやすいのが特徴です。阪神・淡路大震災は直下型の地震で、建物の倒壊による圧死が死者の多数を占めたと言われています。

2013年03月21日(木)

マグニチュードは地震のエネルギーの大きさ

 震度は、ほんの20年くらい前までは、感覚的に決められていました。揺れを体感した人たちの感性で、「だいたいこのくらい」で震度が決まっていたのです。阪神・淡路大震災が起きたころには、県庁所在地などの大都市で幾つか震度計が設けられ、感覚的なものから、より精度の高い震度が得られるようになりました。
 1つの地震に対し、震度は各地で違い、幾つもの震度がありますが、地震のエネルギーの規模を示すマグニチュードは、1つの地震で1つだけです。東日本大震災はマグニチュード9.0。世界中で観測史上4番目に大きい地震だそうです。

2013年03月19日(火)

震度は全部で10段階

 東日本大震災から2年が経ちました。3月11日の記憶は生々しく、私は当時、竣工間近の建築現場で震度5強の揺れを体感しました。その時のことは、詳しくは昨年3月のブログでご紹介しています。
http://kkdaimaruy.blog101.fc2.com/blog-date-201203.html
 震度5強は、私もこれまで体感したことのないほどの揺れで、一般には「立っていられない状態。かなりの恐怖を覚える」レベルだと言われています。
 いま、日本で「震度」と呼ばれる揺れの体感を表す強さは、全部で10段階あります。
 震度0、震度1、震度2、震度3、震度4、震度5弱、震度5、震度5強、震度6弱、震度6、震度6強、震度7で、東日本大震災で最も揺れた宮城県北部の栗原市築館エリアでは最大震度7まで揺れました。

2013年02月28日(木)

私の新しいふるさと・喜多見

 これまで、私のふるさとである調布・会社の本拠地稲城など、多摩地区のお話をしてきましたが、私が今住んでいるのは喜多見です。狛江市と世田谷区の境にある喜多見は、母方の実家があり、大伯母のもつアパートに暮らしています。
 大丸建設と言えば、父方から受け継がれた家業です。兄は父たちと一緒に調布市下石原の実家近くに住んでいるので、私は母方の実家の方に分かれています。
 いずれ私も世帯を持つようになるので、その時はどこで暮らすのだろうと今から夢見ています。せっかく建設業を営んでいるので、自分らしい住まいと、地域との接点を持ちながら私らしい暮らしをしていきたいと思っています。

2013年02月26日(火)

小学校の遠足と言えば「高尾山」

 多摩の名所と言えば、もう一つ忘れてはならないのが高尾山です。都心から1時間ほどで登山ができる立地のよさなどから、年間250万人以上の登山者が訪れる、世界一の登山者数を誇る山です。標高は599メートル。ケーブルカーも整備されており、登山ルートも多彩。1号路から6号路まで、また稲荷山コース、高尾山・陣場山コースなど、気軽なハイキングから本格的な登山まで、初心者も熟練者も楽しめます。
 高尾山にある天台宗の寺院・薬王院は、こちらも天平年間に開山した歴史のある古刹で、天狗の伝説も残っています。3月10日からは高尾山最大のイベント「火渡り祭り」が開催され、山伏や檀信徒たちが祈りながらご本尊様の知恵の炎を渡る様は圧巻です。
 薬王院の境内には樹齢1000年を超すとも言われる巨木が存在し、とても多くの花や木も生息しており、身近な自然を感じられる豊かな生態系が魅力です。

2013年02月25日(月)

地元の名所と言えば「深大寺」

 私は毎年、初詣は深大寺に行っています。深大寺は調布市深大寺元町にあり、開闢は天平時代、いまから約1300年前にさかのぼります。天台宗別格本山で、聖徳太子の時代である白鳳期の作と伝わる銅造釈迦如来像、梵鐘などの重要文化財があります。
 深大寺では初詣、節分会、薪能、十三夜の会といった季節行事があります。深大寺最大の行事が厄除元三大師大祭で、毎年3月3日、4日の2日間、成就祈願のための大護摩行が行われます。また、同日には日本三大だるま市でもある「深大寺だるま市」が開催され、例年2日間で10万人の人が訪れる一大イベントです。
 深大寺のそばには神代植物公園があり、現在約4800種類、10万本・株の樹木が植えられている日本最大級の植物公園です。神代植物公園も子どものころによく遊びに行った思い出の場所です。

2013年02月22日(金)

仲間を大切にし、人情味がある近藤勇像

 近藤勇の歴史的評価はさまざまだと思います。義に生きた英傑という人もいれば、正反対の評価もあります。私にとっての近藤は、やはりヒーロー。開国か鎖国か、新政府か江戸幕府への忠誠か、時代が大きく揺れ動くなかで、最後まで幕府への義をつらぬき、仲間を大切にしてきた人情味のあふれる近藤の生き方は、私にとっての憧れです。
 2004年に放映されたNHKの大河ドラマ『新選組!』は、私のふるさとでもある多摩が最初の舞台です。明るく闊達な近藤が、同志を得ながら幕府の信頼を勝ち取り、幕臣にのぼりつめ、悲劇の最期を迎えるまでを描いたドラマで、私が幼い頃から親しんできた近藤勇像とドラマの近藤勇が重なって見えました。
 元々は農家の出身で、そこから出世し、侍になる。そのなかで葛藤も多々あったでしょう。近藤の魅力は、やはり多摩というふるさとがあり、人の心にふれて生かされ、人情を大切にするところではないかと思います。
 21世紀、さまざまなリーダー像が求められるなかで、近藤の「情を大切にする」生き方も、一つあるのではないかと私は思っています。

2013年02月20日(水)

故郷のヒーローは、やはり「新撰組」

 大丸建設は東京の会社です。東京と言えば都心のイメージですが、大丸建設がある多摩地域は、東京といっても下町とも違う、独特の「多摩」文化が残っているところです。
 皆さん、「多摩」と言って思い浮かべるのは……? 多摩川でしょうか。歴史好きの方には「新撰組」のイメージが強いかもしれませんね。私も、故郷のイメージと直結するのが「新撰組」です。
 私が通っていた小学校のそばに調布市の郷土博物館があります。そこでは、江戸時代の絵地図や、調布市にまつわる歴史上の人物にまつわる展示がよく行われており、新撰組関連の展示も盛んでした。
 新撰組の局長である近藤勇は、調布市の出身です。武蔵野国多摩郡上石原村(現在の調布市野水)の農民の出ながら、幕臣まで取り立てられた多摩の英傑です。

2013年02月18日(月)

“きたない川”は、今は昔の話……。

 私が幼い頃遊んでいた多摩川の思い出は、「きたない川」というイメージでした。当時は環境汚染の影響で、多摩川の水は濁っており、とてもではないけれども「清流で遊ぶ」というイメージとはほど遠いものでした。いまの多摩川は、少なくとも調布・稲城エリアではだいぶキレイになっていると思います。透明度があり、秋川などの上流部では泳げる川になっています。
 私は大学時代に下水の水質浄化を研究していて、日本一汚い湖沼と呼ばれた千葉県の手賀沼について調査していました。下水をきれいにするには、活性汚泥や微生物分解などの手法を用います。いまでも下水処理場ではこのような手法で、ずいぶん川に流れる下水もきれいになってきました。
 川が汚かった理由に、工業用水や家庭排水が河川に流れ込むことで、プランクトンなどが大量発生して水が富栄養化して濁る、といった現象が考えられます。工業用水の廃水基準は厳しくなり、公共下水道などでの水質浄化の成果も上がっています。今後は家庭の排水に気を配るライフスタイルも求められていると思います。

2013年02月16日(土)

東京都民のふるさとの川「多摩川」

 私が幼い頃の遊び場と言えば、多摩川です。東京都民のふるさとの川とも言える多摩川は、延長138km、流域面積1,240km2の一級河川で、水源は山梨県甲州市の笠取山です。奥多摩湖までは一之瀬川、丹波川と呼ばれ、奥多摩湖から小河内ダム以降の東京都を流れる部分が「多摩川」と呼ばれています。
 多摩川の特徴としては、首都圏を流れる一級河川でありながら、特に多摩エリアの上流部では護岸がコンクリートで覆われる殺風景さはなく、自然と一体になった川のある風景が都民に親しまれています。
 私の実家がある調布市の南部、稲城市の間を抜けて、東京都狛江市と川崎市多摩区、東京都世田谷区と川崎市高津区の間を通って、最終的には東京都大田区の六郷土手と川崎市川崎区、そして羽田空港と川崎市の港湾部との間を通って東京湾に注ぎ込みます。
 山の豊かな自然を運びながら、都市、そして港湾を旅する多摩川。人の営みと一体になった多摩川は、私のふるさとの原風景です。