大丸エリアの魅力_3 稲城市ってどんな市?

明治22年(1889)の4月1日、東長沼・矢野口・大丸・百村・坂浜・平尾の6カ村が合併して「稲城村」になったことにより、新しく「稲城」という地名が生まれました。この6カ村は今でも地名として残っており、皆さんにとっても馴染みの深いものですね。

稲城市のホームページによると、「稲城」という地名の正確な由来は残っていないものの、この辺りで稲作が行われていたことと無関係ではないようです。「城」については、矢野口・東長沼・大丸に「小沢城」「長沼城」「大丸城」という砦があったことに由来するものと思われます。

稲城村誕生当時の人口は3,750人。明治30年(1897)に村役場が設置され、昭和4年(1929)にはJR南武線の川崎-立川間が全面開通し、急速に発展します。昭和32年(1957年)に町政が施行され村から町になり、当時の人口は10,145人になりました。稲城が「市」になったのは昭和46年(1971)です。人口36,800人、世帯数は11,999世帯と15年前から3倍にのびています。その後も多摩ニュータウンの開発、京王相模原線の駅開通など利便性がまし、令和5年(2023)6月1日現在の人口は93,734人、世帯数は42,800世帯と、人口減の時代において2040年ごろまで人口推移の増加が見込まれています。

2023年5月 いなぎ手づくり市民まつり

 

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