社長は会社の「アイコン」

大丸建設の現場見学会のチラシや、地域情報誌に単独で広告を出すときには、現社長の安田昭の顔写真とコメントを掲載するようにしています。建築が好きで明るく人のよい現社長を見て、「この人なら安心して任せられそうだ」と、お客さんに好評を得ています。
 私が社長になったら、同じように、積極的に外に出て顔を出し、私の「顔」で仕事を取ってこられるようになりたいものです。
 大丸建設は、匠の会やチルチンびとの工務店の会、事務所協会など、建築業界の様々なネットワークに所属しています。そこで、たくさんの社長に出会い、会社の理念や経営方針を聞き、ときには指南を受け、おおいに勉強になります。
 私は、大丸建設の規模を大きくし、業務を多角化していくつもりはありません。私自身の目の届く範囲で、一人ひとりのお客様にていねいに相対し、社員に過度な負荷をかけず、小さくとも確実に仕事を回し、次世代に引き継いでいきたい。小さく、長く、会社を続けていきたいのです。
 それが大丸建設の理念でもあり、社風です。そんな我が社に魅力を感じる方に、ぜひ働いて欲しいと思っています。

安心して現場を託せる人材を育てたい

私は今年40歳になり、大丸建設の専務取締役になってから6年が過ぎます。2000年に入社したので、会社にとっても私にとっても、今年はある意味、大きな節目の年とも言えます。近い将来、代表取締役社長として代替わりすることになり(当面は現社長が代表取締役会長として私をバックアップしてくれます)、本格的に会社の経営を動かしていく立場になります。
 私は、建築の現場が大好きです。現場にいるのは楽しく、学びも多く、居心地がいいのですが、立場上、好きなことばかりをやるわけにもいかず、会社全体、そして日本の住宅産業全体を見渡して、工務店の代表としての判断、決断をすることに注力しなければなりません。となると、責任をもって建築現場を回す人材を育てていかねばならず、まずは人材の確保が必要だと感じています。
 大丸建設の営業であり、社内のムードメーカーとして長年活躍してくれている田上、現場監督の雨宮だけに頼らず、もう一人ずつ、営業と現場の担当を確保したいと思っています。

役員になって6年、来たるべき次代に向けて

私が大丸建設の専務取締役になったのは平成21年、今から6年前のことです。平成23年に本社の建物を新しくし、同じ敷地内で移転しました。以前の建物はとても古く、トタンのような階段をのぼり、お客様によく「古いですねえ」と言われましたが、ちょうど東日本大震災の直前に移転しました。ちなみに、住所に変更はありません。
 現社長も古希を迎え、そろそろ代替わりも念頭に見据えた引き継ぎがおこなわれています。私が専務になった6年前には、事実上、建築現場の方は私を中心に回していましたが、この6年で少しずつ経営について考えるようになり、私の中でも代表になる準備と覚悟が整ってきたように感じます。
 まだまだ社長は元気なので、今後数年間は、二人が代表として会社を回していく形になるのではないかと思います。

建築業界の横のつながりで情報を取得

大丸建設では、ほかにも、野池政宏氏の主宰する「1985リノベ学校2014」 で、省エネルギーに関する勉強会に参加し、「うちエコ診断士」の資格試験にも合格しました。エネルギーの使用量を最低限にして快適な住まいと暮らしを実現するパッシブ建築の情報や、省エネ関連の新しい法規的な動きなどは、野池学校で勉強することが多いです。
 一般社団法人東京都建築士事務所協会にも加盟しています。大丸建設は南部支部で、今年から私は副支部長として活動しています。建築基準法の改正や、省エネルギー法などの法的な変化や、社会情勢の情報は事務所協会から仕入れています。
 団体の強み、特性に応じたスキルアップや、情報共有の場として、私は様々な場に顔を出すようにしています。

「チルチンびと」仕様で原点回帰

大丸建設のおこりは、明治初期に「天才宮大工」とうたわれた初代が、建築を家業として始めた140年ほど前にさかのぼります。二代目は飛鳥文吉邸など歴史に名を残す建築を手がけ、「匠の技」を世に残し、その精神を今まで引き継いでいます。
 大丸建設は、もともと、高級和風建築を得意とする「匠」の集まる工務店です。しかし、戦後は時代の波にのまれ、新建材での住宅づくりに手をのばしていた時期もありました。ある時期に、大丸建設の原点を見つめ直したのがきっかけで、平成15年(2003年)に「チルチンびと『地域主義工務店』の会」の設立に携わりました。そこから、すべての建材を自然素材でつくる、本物の木の家に立ち返る住まいづくりを大丸建設の基本仕様にしました。今から12年前のことです。

35年来加盟している「匠の会」

朝日新聞の広告でよく見かける方もいるかもしれませんが、大丸建設は昭和55年(1980年)に設立した協同組合「匠の会」に翌年から参加し、今年で35年になります。匠の会は、会員社が多く、エリアごとに合同で家づくりのセミナーや木工体験などのイベントを開催していることもあり、仲間のネットワークが強固で、お客さんを紹介し合うこともあり、会社の経営上、とてもプラスになっています。
 また、同じような立場の経営者同士のつながりも濃いので、同世代の社長や二代目と語り合い、営業的なアドバイスなども共有できるので、私自身の成長にもつながっています。
 匠の会にいると、なんだかんだ言っても、朝日新聞のブランド力、信頼感はとても大きいと感じています。

スタッフが長く務める大丸建設

大丸建設は、今、5代目社長の安田昭を中心に、6名のスタッフで運営しています。専務の私、安田佳正が建築や営業、現場全般を見て、兄で常務の安田博昭が広報や経理を担当しています。営業の田上は設計やインテリアコーディネート、現場監督の雨宮が工事現場や職人さんとのやりとりをおこないます。それに、パートの高野が経理をサポートしています。
 私は学生時代にアルバイトで会社に入り、現場の手伝いをするようになって、20年近く経ちます。正式に入社したのは2000年で、今年でちょうど15年です。私がこれまで一緒に働いたスタッフを思い起こしてみると、20年以上在籍していた設計担当の女性や、私と同世代の若手も4-5年と、比較的長く在職していました。
 大丸建設では、スタッフの居心地のよさ、風通しのよい関係性を大切にしています。それが、社員の定着につながっているのかなあ、と思います。

地球が悲鳴を上げている

この10年間で、地球温暖化はますます顕著になっています。10年前ごろ、ようやく地球温暖化という言葉が意識されるようになってきたと思ったら、今は日々の生活でその変化を実感せざるを得ないような状況が起こってきています。
 これまで雨といえば上から降ってくるものでしたが、最近では「下から降ってくる」とも感じるほど、強い雨が打ち付けるようになってきました。
 また、四季がなくなってきているという危機感があります。夏が暑く、残暑が長く続き、秋が短くあっという間に冬になってしまいます。桜の咲く季節も早まって、季節の風物詩が暦通りにいかなくなってきているのを感じています。
 今後は、日々の生活自体に「防災」の観点をもって生きていくことが求められていると感じています。

東日本大震災で変わったこと、変わらないこと

この10年で最も大きな出来事の一つとして、2011年3月11日に起こった東日本大震災があります。私は震災後のゴールデンウィークに工務店仲間と岩手県の大槌町へ入り、建築士として耐震診断をおこないました。地震自体はとても大きなものでしたが、それ以上に津波の威力の大きさを感じました。そして、建築士として被災地の皆さんのお役に少しでも立つことができたのなら、本望です。
 会社としては、震災を経て、何か変えたかといえば、実はそれほどありません。というのも、大丸建設は日本で長く伝わってきた在来軸組工法で住まいを建て、耐震性能についてもしっかりと設計をおこなってきており、震災の際もすべてのお客様のお住まいでトラブルはありませんでした。これからも、誠意を持って、地震に強い家をつくり続けていこうと感じました。

住宅産業を大きく変えた品確法

「住宅の品質確保の促進等に関する法律」が制定されたのは平成12年のことです。通称:品確法の要点は次の2つです。
・ 住宅の性能の表示基準と評価制度
・ 新築住宅の性能に関する10年間の瑕疵担保責任についての規定
 特に瑕疵担保責任については、住宅を新築する際の雨漏りや構造の担保としてトラブルがあった際は、施工側が保証をするという規定で、住宅を建てるお客様にとっては安全と安心の担保につながります。1年に2回、地方自治体と都道府県知事に新築の報告をしなければならず、瑕疵担保責任のための保険に入ることも義務付けられました。
 行政へ提出する書類は増えましたが、工務店の責任範囲が明確になり、お客様の安心安全を担保するうえでは、とても大切な契機となりました。