寺社建築に想う-その2-

近所には赤城神社がある。
月の初めや、気の向く時にご挨拶をしていたが、この一年以上は建替え工事のために
境内に入ることは出来なかった。プレハブの仮本殿はあったけれど・・・
神楽坂で生まれ育った友人の結婚が決まり、式場の話になった時
A「どこでしようかなあと探し始めてるところ・・・」
I 「○子師匠はやはり神前でしょ」(友人は三味線の先生をしている)
A「ですよねえ。実は赤城も良いかなと・・・」
I 「断然賛成!ご実家から花嫁道中しちゃおうよ。私はお付の世話役になるー・・・
  でも、建替えになっちゃうね」
A「・・・前のまんまが良かったですよねえ」
I 「ですよねえ」
たぶん、おそらく、大きな樹木と広い空があった境内と、気軽にお参りできる社殿のままで
あって欲しいというのが地元の人々の願いだったような気がしている。
少なくともⅠの聞く限りはそうだった。
最近になり、工事用のシートも外されて完成形が予想できる状況になった。
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大手デベロッパーによる分譲マンションを含む複合施設?というのか・・・は隈研吾の設計になる。
隈建築らしいストライプ。リズムはあるけれど、そこにメロディーはない。なーんて。
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社殿は鉄骨造の様子
そして。本殿も拝殿も地面からは離れている。
現状を外から見る限りでは、グランドレベル・1階は鉄筋コンクリート造での空間が形成されて
その上に本殿と拝殿がのっかってる。
空から降りてくるものが地面にたどり着けずに行き場を失うようなイメージが湧いてくるけれど・・・
良いのかな?と記した後で思い出したのは。
古い時代の出雲大社は高層と言えるほどの高さだったということ。
藤森照信の『天下無双の建築学』でも、神に近づこうと考えた時に高層建築を目指すのは自然だった
のではないか・・・的な文章があったことを思い出した。
ふうん。そういう意味なのかもしれないし、全然関係ないのかもしれない。
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社殿も隈研吾の設計のようだ。
庇の先がそれっぽいデザインになっていた・・・
ここでは、社殿建築の様式というものは消去されたのかもしれない。
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時間と歴史のなかで育まれてきたものから学ぶ姿勢を忘れずに居たいと想う。

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