2016年は飛躍の年に

いよいよ年の瀬も押し迫ってきました。今年1年、大丸建設では今まで取り組めなかったことに少しずつ着手して、社内のスタッフのミーティングを定例開催したり、コミュニケーションを活発に、よりよい家づくりのための土壌づくりに力を入れてきました。来年は、営業の人材を取得して、育てていきたいです。
 少子高齢化への対応や、より高い省エネが求められるようになるなど、住宅産業には今後も何かしらの変化が訪れることになるでしょう。匠の会やチルチンびとの仲間たちなど、一歩先行く経営者の先輩がいますから、おおいに学んでたよって、大丸建設が次の100年まで続いていけるよう、細く長くたくましく生き残っていきたいと思います。
 今年1年、おつきあいいただきありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

家族の今後10年を見据えて

30歳から40歳までの10年間は、ひたすら現場で仕事を回していた、ステップアップの10年でした。40歳からの今後10年が、今後の人生の中でとても大きな時期になるのだろうと思います。
 私は割と淡々とした性格なので、大きな目標を掲げて何かを勝ち取ろうとか、自分を大きく見せることをしない性質なのですが、それでも40歳という年齢に感じるものは多少なりともあります。
 社長も72歳になり、実質的にはこの1年内に私が跡継ぎとして動き出す体制づくりに入っています。まだまだ社長は元気なので今後も会長として会社を支えてもらうことにはなりますが、逆に安心して任せてもらえるような私でありたいとも思っています。

今シーズンはスキーに行きたい

ウィンタースポーツの代名詞でもあるスキー。家族の共通の趣味で、私は2歳のころからスキーをしにゲレンデに行っています。毎年、冬と早春の2回、高校卒業するくらいまではずっと家族で通っていました。大学に入ってからはスキーサークルで行っていました。スキーはSIAという協会のゴールドの免許を取得しています。
 今でも年に1-2回のペースでスキーに通っています。昨季は膝を痛めてしまい行けなかったので、今季は必ず行きたいと思っています。
 スポーツのよさは、仕事と両立することで、心身のバランスを整えられることです。工務店の仕事は重責ではありますが、私がそれに耐えて仕事をできるのも、少林寺やスキー、水泳など、長く続けているスポーツのおかげかもしれません。

生き方の規範でもある少林寺拳法

私自身の趣味でもあり、生き方の規範になっているのが、少林寺拳法です。7歳のころに始めて、長く続けています。4段を獲得したのが5年前。つい先日も、少林寺拳法の全国大会の応援のために京都まで行ってきました。
 少林寺拳法は、護身という意味でもすぐれていますし、何より、心の強さをつくるのにとても役立ちました。仲間づくり、人間関係の築き方も少林寺で得た財産です。
 今は仕事があるのでそう多く練習に通えるわけではありませんが、それでも月に2-3回は道場に通い、鍛錬しています。
 肉体を鍛える時は、精神も一緒に鍛えられるのを感じます。肉体がつらい時は精神もつらく、逆にそれに打ち勝とうとすれば必ず乗り越えられます。そして、人を思いやる心も余裕も生まれてくるようになります。
 少林寺拳法はこれからもずっと続けていきたいと思います。

一人暮らしを始めて5年

私が家を出たのは35歳の時でした。私自身も、両親も、お互いが自立して甘えないようにという配慮と、今後私も世帯を持つことになれば、両親が二人の生活になりますから、それに慣れてほしいという思いもありました。
 ちなみに、学生時代は家を出て兄と一緒に暮らしていたので、初めての一人暮らしではありません。食事や洗濯を一人でやるのは、あまり苦ではなく、楽しんでやっています。
 今は帰宅が毎日20時過ぎで、遅いと22時くらいになることも。そうすると、外で食べて帰ることも増えました。近所に行きつけのお店ができて、カウンターに座って気の合う仲間と会話を交わすのがストレス発散にもなります。
 毎年言っていることですが、来年こそは所帯をもって、「ただいま〜」と言って家に帰りたいものです(笑)。

10年で変化した家族と私

今から10年前、30歳の時には、私は調布市の実家で、家族と一緒に暮らしていました。父と母、そして私の3人家族。兄はすでに独立して、兄嫁、甥っ子(4歳)、姪っ子(2歳)と所帯を持っていましたが、近居だったのでよく実家に家族が集っていました。今でも実家に帰ると、母が甥と姪の勉強をみている姿が見られるので、あまり変わっていないのかな、とも思います。安田家はある意味、昔ながらの大家族と言えるかもしれません。
 父とは会社でも一緒なのですが、家では完全に「父と子」という関係でした。特別にベタベタすることもなく、疎遠でもなく、一緒にテレビを見ては笑ったり、食卓ではビールを一緒に飲んだり。母はスケート観戦が好きなので、テレビは家族団らんの大切なパートナーでした。
 家では、父とは仕事の話をすることはほとんどありませんでした。会社では社長と呼び、プライベートと完全に分けていました。

建築士としての規範、モラル

今年10月に発覚した横浜市の傾きマンション事件。10年前の姉歯事件を彷彿させますが、それ以上に影響が大きい重大事件です。
 木造建築では、柱が飛んで、梁を抜いている……そのような状況で、住まい手の命と財産を扱う建築士としてのモラル、生き方が問われます。
 報道を見ていると責任の押し付け合いのような面も感じられますが、データを改ざんした担当者はもちろん、それを見抜けない管理や、一社だけでない建築業界の体質、販売責任など、総合的で非常に広範囲な問題だと思います。
 建築に関わる不正や偽装はどのようにして起きるのか、建築士としてなぜそれができるのか、私には理解ができません。元請け、下請け、孫請けと、関係者が多岐にわたるにつれコストを圧迫しているだろうこと、激しい価格競争などもあるのかもしれませんが……。
 少なくとも、私たちのような小さな工務店では、職人さんをコストで締め付けると家づくりのモチベーション自体が下がってしまうため、職人さんを大切に扱っています。規模が大きくなればなるほど、人対人という関係性が薄れ、倫理的な価値判断が薄くなってしまうのかなあと思うと、残念です。

今年の12月で40歳になります

10月からお届けしてきた「この10年」シリーズ、12月は私個人の10年を振り返ることにします。
 私の誕生日は12月22日で、今年で40歳になります。節目、節目とは言われますが、私自身はあまり気にしておらず、淡々と、1年を、そして日々を過ごしています。
 とはいえ、毎年、少しずつでも成長していかなければと感じているのも事実で、ブログがあることで、1年の振り返りや、当年の抱負などを考えるきっかけになります。
 ちょうど10年前は一級建築士の資格を取ることに集中して、ようやく一級建築士になれて、これから現場監督として経験を積んでいこう、耐震診断の技術も磨いていこうというタイミングでした。そんな時に発覚した耐震偽装事件(姉歯事件)。そして10年後の今、傾きマンション事件が大きく世間を揺るがしています。建築に関わる人間としてのモラルが問われる時代にいるのだなあと感じています。

木造建築文化を次世代に継承する

大丸建設では、木造住宅を手がけるうえで、技術の伝達、仕事の知識は、ほかに負けないと自負しています。大丸建設では、木造住宅を愛する心を持つ人に、ぜひ入社していただきたいです。会社の規模は決して大きくありませんが、だからこそ、私自身が直接、マンツーマンですべてをお伝えすることができます。
 そして、ほかに負けない技術力を持つ大工もいるから、高いレベルでの現場を見られます。本人が新しく挑戦したいことも、少人数ならではのよさで、挑戦させられる土壌です。結果が直接見える仕事ができる、そこに楽しさを見出せる人には、当社はとてもよい環境だと思います。上下関係もさほど厳しくないし、小さい工務店ならではのアットホームさを出しながら、馴れ合いではなく、やる時はやる! という、メリハリのある仕事をしましょう。
 ぜひ、ご応募をお待ちしております。

社長は会社の「アイコン」

大丸建設の現場見学会のチラシや、地域情報誌に単独で広告を出すときには、現社長の安田昭の顔写真とコメントを掲載するようにしています。建築が好きで明るく人のよい現社長を見て、「この人なら安心して任せられそうだ」と、お客さんに好評を得ています。
 私が社長になったら、同じように、積極的に外に出て顔を出し、私の「顔」で仕事を取ってこられるようになりたいものです。
 大丸建設は、匠の会やチルチンびとの工務店の会、事務所協会など、建築業界の様々なネットワークに所属しています。そこで、たくさんの社長に出会い、会社の理念や経営方針を聞き、ときには指南を受け、おおいに勉強になります。
 私は、大丸建設の規模を大きくし、業務を多角化していくつもりはありません。私自身の目の届く範囲で、一人ひとりのお客様にていねいに相対し、社員に過度な負荷をかけず、小さくとも確実に仕事を回し、次世代に引き継いでいきたい。小さく、長く、会社を続けていきたいのです。
 それが大丸建設の理念でもあり、社風です。そんな我が社に魅力を感じる方に、ぜひ働いて欲しいと思っています。